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- 2024年04月09日火曜日
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我が家には中1の息子、小5の娘、そして生後1か月で我が家に来たAちゃん、現在2歳、生後3か月で我が家に来たBくん現在0歳の元気でかわいい子ども達がいます。息子も娘も里子を迎えることに何の抵抗もなく現在では立派な兄と姉になっています。子どもが4人いると毎日バタバタと大忙しです。
0歳のBくんからは毎日抱っこ攻めされ、喧嘩が始まれば泣き声が聞こえ、仲良く遊んでいるとキャッキャッ笑い声が聞こえ、たくさんの話し声が飛び交い、家の中が静かな時は皆が寝ている時だけで、とにかく一日中とっても賑やかです。空模様と同じで、晴れの日ばかりでなく、曇りの日も雨の日もありますが、その分、子ども達が私に笑顔とパワーをくれます。だから毎日頑張れるのです。そしてこれから子ども達がどんなふうに成長していってくれるのか少しドキドキしながら子育てを楽しんでいます。
- 2024年04月09日火曜日
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今、多くの人の愛と優しさを一身に受けて明るく健やかに成長しているMちゃんは我が家へ来て一年になろうとしています。試しの期間があると聞いていましたが、気性の荒いMちゃんへの対応に私の平常心も揺さ振られ、優しい心も忘れそうになりました。
我が家の一員になってからは、慣れない環境に置かれたことによるどんな怒りやイラダチも全て受け入れてあげることの大切さを忘れてはならないと思いました。「大丈夫だよ、守ってあげるから安心してね。」と言葉を掛け続け、抱っこしたり、おんぶ紐でおんぶしてスキンシップをはかり、安心感を与えるように努めてきました。そうする中、次第に落ち着いて心の絆も深まり、夫婦二人では味わえない賑やかな声が飛び交う毎日となりました。
明るく誰にでも飛び込んでいって、周りの人達の笑顔を引き出してしまうMちゃん効果は絶大です。「ジージ、バーバは年取っていて腰が痛い、目が痛い」と言うと、真剣な顔つきで「大丈夫?早く良くなってネ」と気遣ってくれます。優しい心でまっすぐ育ってくれることを願って「ジージ、バーバに心配かけてはいけないよ」と話しています。高齢の私達にとっては体力が子育ての鍵とも言えます。多くの周りの人に助けられ、みんなで子ども達の成長を見守っていけることに感謝しています。
- 2024年04月09日火曜日
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Tちゃんが我が家に来たのは生後5ヶ月の頃。まるくてふっくらでとても可愛い女の子でした。私たち夫婦は共働き。里親は主人の希望でしたが、Tちゃんを受け入れるために、主人が仕事を辞めたと聞いた時は少なからず驚きました。同時並行で行なっていた事業が軌道に乗っていましたので、主人にしたらそこまでの決心ではなかったのかもしれませんが・・・。ともあれ、保育園に入るまでの3ヶ月間、主人は孤軍奮闘してTちゃんを育てていました。Tちゃんが来て私の負担も随分増えました。ですが、Tちゃんは可愛いですし、何より主人が子育ての大変さを心底理解してくれたことがとても良かったと思います。
さて、Tちゃん、実母さんが「ママ」と呼んでほしいとのことで、私たちは「お父さん」「お母さん」と呼んでもらうことに。乳幼児に「お父さん」「お母さん」はハードルが高いなぁと思っておりましたら、案の定、初めての言葉は「まんま」。その次はお兄ちゃん(4歳実子)のことを「にいに」と呼びました。その後、どんどん語彙は増え、「ぴょんぴょん」「ブーブー」「ぞうさん」「バス」「ふわふわ」など形容詞まで飛び出すようになり、私も呼ばれるのをいつかいつかと心待ちにしておりましたら、ついにその時はやってきました。
私の肩をトントンと叩いて、ニコニコ顔で「センセ〜(先生)」それもドヤ顔で!
「ちがーう!」思わずツッコミを入れた私です。その後「センセじゃなくてお母さんだよ」といくら教えても「センセ」。保育園に通うTちゃんにとって、お世話をしてくれて、いろいろ教えてくれる大人はみんな「センセ」なのでしょうね。
実家に帰省している時、このやり取りを見ていた母が、「センセでもいいんじゃないの。まぁある意味人生の先生やし。」と言った言葉にふと思いました。
私たちは先生なんてそんな大それた存在ではないけれど、養育者としてだけでなく、Tちゃんより先にこの世に生まれ、少しだけ世間の荒波を越えてきた先輩として、Tちゃんに背中を見せ続ける存在でもなければならないのかなぁと。今だに「センセ〜」と呼ばれるたび、「センセじゃなくてお母さん!」と頑張っている私ですが、心の中ではTちゃんの人生の先輩として、恥じない自分でいたいと思う毎日です。
- 2024年04月09日火曜日
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Yちゃんと初めて会ったのは5月。乳児院での面会から始まり、1泊、2泊と家にYちゃんがいる時間が増えていきました。我が家に委託先が変わって1年が過ぎました。少食、夜泣きに悩まされたとき、玄関で乳児院の先生を呼び、大泣きされたときなど育てられるか不安に思うこともたくさんありました。家族や周りの人に助けてもらったり、Yちゃんに笑わせてもらったりして、途中からはなんとかなると思えるようになりました。
Yちゃんが来てから、知らなかったことを知ったり、行かなかったところに行ったり、
Yちゃんと一緒に色々な初めてを体験して笑ったり、怒ったり、泣いたりしています。
来年からは幼稚園に行くの、でYちゃんだけの初めてもこれから増えていくのだと思い
ます。これからもよろしく。家に来てくれてありがとう。
- 2024年04月09日火曜日
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3年前に里親登録をして、今は二人の子どもと楽しく暮らしています。
初めて一人目の子どもが委託されるときに「この子は本当に大変な子です。」と言われて、少し不安に感じたことを今は懐かしく思い出します。生まれてからずっと乳児院で育ったせいか、それまで見たことのない大人が食事をする姿や、それまで出会ったことのない小中学生や老人など、とにかく見慣れないものを見ては怖がり、怯え、外出する度に泣いていました。ところが、うちに来てからは180度性格が変わり、天真爛漫で明るく、人見知りもなく、誰とでもすぐに仲良くなれる子に変わっていきました。
このことを通して新米里親の私たちが最初に教えられたのは、大人は子どもに対して、つい「この子はこういう子だ」と決め付けたり、型にはめたりしてしまいがちですが、一時の様子だけでなく、あくまでもどこまでも子どもの無限の可能性を信じ、その都度、子どもの成長に寄り添い、共に喜んで、歩んであげることが里親の大きな役目ではないかなということでした。
一日色んなことがあっても、見ず知らずだった二人の子どもが仲良く寄り添って寝入る姿を見ていると、心も体も健康で幸せに過ごしてくれているのかなとこちらも幸せな気持ちになります。
また、子どもの成長と共に、私たち自身も「里親」として、常に子どもたちに育ててもらっているということを忘れてはいけないなと日々感じています。
- 2024年04月09日火曜日
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私たち夫婦は、Yちゃんが生後2か月の時に乳児院で初めて対面しました。特別養子縁組が前提だったので、研修を受けて2ヶ月後には我が家で生活を始めました。家に連れて帰る車内で、Yちゃんがうちになじめなかったらどうしよう、夜にちゃんと寝てくれなかったらどうしよう、などと心配していたのですが、家に着いたYちゃんは準備してあった布団を見るなり、コロンと寝転んで熟睡してしまいました。初日から自分の家のようにくつろいでいるYちゃんを見て、この子とはうまくやれそうだと感じました。
その直感通り、Yちゃんは小さいのに夜泣きもしないし、お昼寝もあっという間に寝てくれるし、いつもご機嫌で過ごしてくれました。おかげで私たち夫婦は寝かしつけの大変さも味わわず、寝不足の苦労もないまま今に至ります。高齢?の私たちにとっては睡眠時間をしっかり確保できることは本当にありがたいです。
月日はあっという間に経ち、ハイハイからつかまり立ち、歩き出したかと思うとスルスルと階段も上り始めました。先日2歳の誕生日を迎え、ますます元気いっぱいです。子育ての苦労はさほど感じませんが、毎日朝から公園に連れて行き、クタクタになるまで遊ぶのに付き合うので、Yちゃんの健康はもちろんのこと、自分の体調管理や体力作りにも気をつけねばと思っています。
穏やかな性格のYちゃんのおかげで、私たちは楽しく育児をさせてもらっています。この平和な日々はいつまで続くのやら…?中学生ぐらいですごい反抗期がきたらどうしよう?いや案外このままずっと平穏なまま成長するかも?なんて楽観的な考えもあったりします。先の事は全く分かりませんが、Yちゃんと出会えた幸せに感謝しながら、これからも毎日を大切に過ごしていきたいと思います。
- 2024年04月09日火曜日
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Ⅿくんがうちに来たのは一昨年の暮れ、六歳のお誕生日を迎える頃でした。我が家で引き受ける事が決まるとすぐⅯくんに会うことになりました。児童養護施設での初めての対面は、今でも新鮮な心覚えであり続けています。担当の職員さん方との懇談の後、宿世の出逢いと相成りました。駆けこむようにお部屋に入ってきたⅯくんと私達は、好きな食べ物の話をしました。「お肉が好き。」次に、「かたぐるま」とせがまれましたので、ソファに座ったままⅯくんを肩に担いであげると、間髪を入れずに「立って」と云われました。立ち上がってあげた時に感受したそのときのⅯくんの姿、自分はこれを能動的に憶えておこうと思いました。
それからⅯくんと数回の面会の後、初めてのお泊りの日、家に来た途端に原因不明の発熱。いきなりにして急患診療、心が身体を追い越したのでしょうか。翌朝すっかり正常に。
Ⅿくんの誕生日は大晦日、その前日から一緒の生活が始まり、早速お祝いに。Ⅿくんがハマっていた仮面ライダーの必殺武器を贈ってあげると、すぐさま闘いごっこ。平穏ではない年越しとなり、Ⅿくんが施設から通っていた幼稚園へうちから送迎することに。独楽回し、綾取りなど子どもの曲技を実演してくれたと思えばすぐ卒園。小学校に入り沢山お友達ができ、練習した剣玉は名人級に認定。二年生からはサッカークラブの活動もしていてハツラツな小学生になりました。
私たちはⅯくんの成長をみています。一年生の時からずっと背の順では一番前(小さい)。そんなⅯくんに、今でも抱っこや肩車をせがまれます。出逢いから一年半、初めての「かたぐるま」から全然変わらないⅯくんですが、まだまだ愛着形成をしている最中です。いつまでも肩車をしてあげているかもしれません。
- 2024年04月09日火曜日
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家の中に響きわたる子どもたちの声、元気に成長していく姿は、私たち夫婦の生きていく支えです。私たちは8年間不妊治療をしてきました。心身にかかる負担は大きく、卵子提供を受けるよう勧められたことで、長かった治療にピリオドを打つことができました。
自身で子どもを授かることは叶わなかったけど、子どもを育てたい、この手で抱きたいという想いは日々募り、何か手立てはないかと調べていく過程で“特別養子縁組制度”というものがあることを知りました。里親相談会や子ども相談所を通して養子里親の資格をとり、長男を生後2ヵ月で次男を生後4ヵ月で迎え、我が家は4人家族となりました。
初めて長男をこの手で抱いたとき、この小さな命をなんとしても育てていく決意と、私たち夫婦にリレーしてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。今では長男は小学生、次男は幼稚園児となり慌しくはちゃめちゃになりながらも二人育児を楽しんでいます。
これから、子どもたちには自らの生い立ちを知る真実告知が待っています。これは生育歴の連続性がアイデンティティ(自己同一性)形成に重要なため、子どもの発達段階や理解度に応じて何度も行い、長男はすでに自らの生い立ちを理解しています。将来、子どもたちが真実告知をどのように受け止め生きていくかは、まだ想像がつきません。それでも私たちは父親で母親であり、なんら揺るぐことのない家族であるメッセージを今日も明日もずっと送っていきます。なぜなら、あなたたちを抱いた瞬間からお父さんお母さんだから。
- 2024年04月09日火曜日
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養育里親としてSちゃんが、我が家に来てから三年半が過ぎました。登録をしてすぐにSちゃんとの出会いがあり、何度か乳児院に面会に行きました。
「バイ バイ また来るからネ。」Sちゃんにとっては、初めての面会の人、それなのに、小さな手を振って嬉しそうにしてくれました。その光景に、乳児院の先生が涙を流されたのを、今でもはっきりと、私の記憶に残っています。
このSちゃんが私たちの家に来たら夫婦で大事に育てようと思いました。一か月が過ぎ、我が家にSちゃんが来ました。「元気でね。」私に抱かれたSちゃんは、乳児院の先生に手を振りお別れをしました。二~三日間は、びっくりするほどおとなしくおりこうでした。でも、それは音楽でたとえるなら、前奏のような…。
日がたつにつれ、白い壁には落書きがあり、スーパーなど人の多い所に連れて行くと大きな声で泣いたり、家の中で私の姿が見えないと大声で「バーバーどこ行ったの?」ご近所の人が、見に来てくれるような事もありました。それでも、年月が経つと、少しずつ慣れてきたようで、今では、「お買い物行って来るね、行く?」「ひーばーばと、お留守番している。」と、言う時もあります。
日中は、保育園に行き、色々な経験や体験、又、お友達と遊んだりケンカをしたりしながら過ごしています。保育園から帰ってきたら長女夫婦が近くに住んでいるので、孫たちと楽しそうに遊んでいます。私自身五人の子どもを育て、又、養育里親の前には、他市の一時預かりの子ども達を30人ほどお世話してきたので、それなりの経験があるつもりですが、それでも子ども達は、私の想像以上の事をしてくれる事もあり、体力を奪われる事もあります。しかし、子ども達の寝顔を見ていると「明日も頑張るぞー。」明日への活力になります。何よりも私たちの所に来てくれたSちゃんに感謝です。有難う。
- 2015年03月20日金曜日
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わくわく・ドキドキで始まった子育てでした。養子縁組をした二人は、生後10ヶ月の姉と、その3年後に来た生後20日の弟でした。こんなに可愛い私の赤ちゃん!と毎日毎日幸福な暮らしでした。大切に大切にしっかりしつけもして、心も身体も健康で優しい人になりますようにと願いながら一生懸命育てました。今も我が家の居間には、生後5ヶ月頃の弟にそっと手を回して寄り添う3歳の姉と二人で写る写真が、一番よく見える場所に陣取っています。私の大好きな宝物の写真です。思ったようにならない時、つらい時、この写真で原点に戻ることがあります。二人はそれぞれに全く違った性格でした。私は一人で育ったせいもあり、色々戸惑いました。でも大勢の兄弟姉妹の間で育った主人に教えられ、また姉妹のように思える里親仲間との交流や、相談所の先生方や、ご近所の方々に支えていただきながら今日までくることができました。
先輩里親さんからこんなに可愛い子どもたちとのご縁を頂いたのだから、少しは社会に恩返ししないといけないと教えていただき、短期の養育里親を何度かさせていただきました。また週末里親としては二人の女の子とご縁があり、楽しく行き来させていただいています。我が家のその時々の状況もあり、なかなか二人の心に添えないこともあるのですが、出来る範囲でと思って、続けさせていただいています。
今は可愛い孫もでき、同居ということもあり、夫婦が仕事の間、子守をさせてもらっています。子育て中には見えなかった変化が見えたり、古い童謡を歌ったりという新しい幸福な毎日です。今も二人の写真を見上げて、30数年もたったんだなあと大きく息をしました。