里親体験談 新しい家族

新しい家族
Sさん(養子縁組里親)

私は30歳で結婚し、当初から子どもを望んでいたのですが、なかなか授からなかったので、不妊治療を始めることにしました。結局37歳まで3ヶ所の病院に通いましたが、子宝には恵まれなかったので、養子を迎えるのはどうかと、夫に話しをしたことがありました。夫は前向きに考えてくれました。

月日が流れ、42歳を間近に迎えたときに妊娠が出来ない体だと医師に告げられ、その時はショックを受けましたが、やっと夫と共に、特別養子縁組に向けて気持ちを切り替えることが出来ました。

そして平成22年7月に堺市子ども相談所に面接の予約を入れました。夫婦一緒だったり、どちらか一方だけの面接が何度かあり、必要書類を提出し、研修を受け、児童養護施設での実習を終え11月末に里親登録が出来ました。以前ネットでは児童相談所で里親登録をしても、すぐには子どもを紹介してくれないと書いてあったので、私達は年末は夫婦でのんびりしようと考えていました。

ところが、12月に入ってすぐ、子ども相談所から紹介したい子どもがいると電話がありました。私はドキドキして男の子か女の子か、何歳かも聞けないまま受話器を置きました。そして1週間後に夫婦二人で、子ども相談所に行くことになりました。私たちは2歳位の子どもを希望していたので、実習で関わった小さな子達を想像しながらその日を待ちました。

そして当日、私たちは子どもに直接会えると思っていたのですが、そうではありませんでした。

紹介されたのは3歳7ヶ月のYくんでした。写真を見て以前毎日新聞の「愛の手」に掲載された子だとすぐに分かりました。その切抜きは今でも大切に持っています。でもその当時は、里親登録も済んでいなかったし、希望していた2歳児ではなかったので行動には至りませんでしたが、彼の生い立ちや、一緒に施設で生活していたお友達が里親家庭に引き取られて、寂しがっていたことを聞いて、3歳7ヶ月でいろんなことを背負っているんだと、まだ会ってもいないのにとても愛しく思いました。

返事は後日電話ですることになっていたので、私達は心に重いものを抱えて、子ども相談所を後にしました。私は帰りの車で夫にどうだったか聞いてみました。夫は可哀想だけど、すぐには決められない、もう少し考えたいと言いました。しかし、私の答えは決まっていました。子育て経験の無い私が、突然3歳7ヶ月の男の子の相手が出来るだろうか、という不安はもちろんありましたが、今回もしもこのお話をお断りした所できっと、あの子はどうなったんだろう?幸せに暮らしているだろうか?とずっと気になり続けることは想像できたからです。

私達は夜遅くまで話し合いましたが、その日結論は出ませんでした。

翌日、私は買い物に出掛けました。そこには100cmの男の子の服が飾られていました。夏には93.5cmだったYくんは、こんなに小さな服を着る程まだまだ小さい子どもなんだと、さらにYくんのことが愛しくなってきました。

その夜、仕事から帰宅した夫と再度話し合い、Yくんと私達は縁があったからこそこんなに早いタイミングで引き合わせてもらい、そしてYくんは自分だけを愛してくれる親を待っている、私達にはそれが出来るんじゃないかと、Yくんを迎えることに決めました。

後日、子ども相談所からYくんとの面会の日程を知らせる電話がありました。私達は12月20日にYくんのいる児童養護施設に直接会いに行くことになりました。その時に、Yくんにどう呼ばれたいですかと聞かれたので、さすがに40過ぎた夫婦にパパ、ママは無いと思ったので「お父さん、お母さん」でとお願いしました。また、クリスマスも近かったので、Yくんの大好きだと言うアンパンマンのサンタブーツを買っていくことになりました。

そして当日がやって来ました。仕事を早めに切り上げて来た夫と、ドキドキしながら児童養護施設に向かいました。応接室に通され担当の先生と打ち合わせをしていると、なんとYくんがドアからニコッと顔を出して、私達に会いに来てくれました。実際に会うと写真よりもまだまだ小さくて可愛い男の子でした。その後、別の部屋に移動し、私達とYくんの3人だけの時間を作って頂きました。Yくんは絵本を手にすると何の躊躇も無く、私の膝にちょこんと座りました。こちらがあっけに取られていると「ねぇ、ママ」と自然に話しかけてくれました。そして次に夫の膝に普通に座り、パパと呼んでいました。本当はお父さん、お母さんと呼ばせたかったけれど、Yくんがここまで自然に呼んでくれるので、今でもこの呼び方で通っています。

そして3人だけの時間はあっという間に過ぎました。Yくんはニコニコしながら、玄関まで私達を見送ってくれました。私は翌日から施設に通うことになっていたので「また、あしたね」と言って、家路に着きました。私達はまさか初日に、あんなに懐いてくれるとは思っていなかったので、少々驚きましたが、翌日から会いに行くのがとても楽しみになりました。

そして当日、私はお昼前からYくんと個室で過ごしました。一緒にお昼ご飯を食べたり、テレビを見たり、ブロックを組み立てたり、おトイレをさせてあげたりしていろんなことをしました。Yくんは前日にプレゼントしたサンタブーツのお菓子をおやつに食べました。そしてYくんとの会話の中で動物の話が出たので、私が動物園で撮った写真を見せてあげることにしました。夫が写っていると「これパパ?」と聞いてくるので「そうやで、Yくんのパパやで」と答えました。そのせいか、次に夫と会うまで、夫の顔を覚えてくれていました。そしてYくんは初めて触るデジカメで私の写真を撮ってくれました。

翌日も施設で過ごす予定でしたが、家に猫が3匹いることを告げるとYくんは「ママの家に行きたい、猫ちゃんに会いたい」と言いました。施設の先生に言うとOKが出たので、翌日は家で過ごすことになりました。その日の帰り、Yくんの為にチャイルドシート、着替え、歯ブラシ、食器など慌てて買い揃えました。そして、家に帰ってYくんを迎える準備をしました。

当日は新しいチャイルドシートにYくんを乗せて、マクドナルドでランチをしました。Yくんはチーズバーガーを半分食べたところで、「うんこ」と呟きました。私は「えっ、うそっ!」と思いましたが、テーブルをそのままにしては行けないので、慌てて持ち帰り用の紙袋に、食べかけのチーズバーガーとポテトを放り込んで、トイレに駆け込みました。子どもがいるとこんな事が度々あるのか、と勉強になった出来事でした。その後、公園で遊んでいよいよ我が家へ連れて帰りました。Yくんは探検でもするかのように、家の中を歩き回りました。猫達はYくんの足音に驚いたのか、1匹を除いて皆どこかに隠れてしまいました。

その日はYくんとカレーライスを作って、一緒にお風呂に入って、また施設まで送り届けました。その日から毎日施設まで迎えに行って、家で一緒に過ごして、また施設に送り届ける日が続きました。

クリスマスはお泊りのOKが出たので、Yくんの大好きなアンパンマンのクリスマスプレゼントと、仮面ライダーオーズのケーキを用意して楽しく過ごしました。

そして、2回目のお泊りの時、Yくんは初めて施設に戻りたくないと、泣いてしまいました。そうかと思えば「もう、パパとママとお別れする。」とも言い出しました。私は、Yくんが落ち着くまでもう1泊出来ないかと施設に電話しましたが、先生はYくんには「ママの所で1回お泊りしたら、また施設に帰って来るのよ。」と約束しているので、可哀想だけど連れて来て下さいと言いました。その日はYくんをなんとかなだめて車に乗せました。

Yくんは施設に戻る日は、夕方頃からだんだん機嫌が悪くなり、私がリュックに荷物を詰め始めると、駄々っ子のように手足をバタバタさせて泣きました。それでも施設には連れて行かないといけないので、「ねぇ、Yくん、ママと一緒にガチャガチャしに行こうか?」と嘘をついて車に乗せました。Yくんはいつも「ガチャガチャしたらおうちにかえるで。ぜったいおうちのベッドでねるで」と言いました。Yくんはガチャガチャを手にすると機嫌が良くなり、その後はチャイルドシートで眠ってしまいました。私は起こさないように、施設に向かってそっと車を走らせていると、Yくんがひょこっと起きて、「ママ、もうすぐおうち?」と聞いてきました。私はもう嘘はつけないと思い、本当のとこを話すと、Yくんは運転席の背もたれをガンガン蹴って来て、泣き喚きました。他の人が見ると誘拐犯に見えたかもしれません。施設に着いてもYくんは車を降りようとしません。先生がやっと抱きかかえて下ろすと、施設中に響き渡るような大きな声で泣き叫びました。Yくんは私に手を伸ばしてきたので、部屋まで抱っこして連れて行くことにしましたが、それでも一向に泣き止みませんでした。ずっと一緒にいたいのに、帰りは1人きりで家路に付く。私はこの時が、今までで一番辛かったです。

Yくんは車に乗ると、最初の頃はいろんな車を見てはしゃいでいたのに、この頃は、信号待ちで止まると「なんでとまってるの?」とか「どこいくの?」といつ施設に連れて行かれるのか、不安がっていました。

そして、ようやく1月末に施設とのお別れが決まりました。これでやっと、Yくんに「ずっとお家やで、もう施設に行かなくてもいいんやで。」と言ってあげられました。Yくんはとても喜んでくれました。私ももう、あんな泣き顔を見なくて済むと思うと嬉しくなりました。

施設とのお別れの日、皆でYくんを見送ってくれました。いつもと違う雰囲気にびっくりしたのか、Yくんはずっと無表情でしたが、一緒にケーキを買って帰ると、いつものYくんに戻りました。

それからしばらくして、Yくんと私は緊張が緩んだのか風邪で寝込んでしまいました。風邪は1週間ほどで治りましたが、当時は病院で里親や施設に渡される受診券で診てもらっていたので、名前を呼ばれる度に、Yくんは「ちがうなまえよんでたよ、なんで?」と聞いてきました。私は「今は違うけれど、いつかママと同じ名前になるからね。」と説明しました。こんな時はいつも、早く私達の籍に入れてあげたいと思いました。それから病院に行くときは、いつも私達の苗字で呼んでもらうようにお願いしました。

真実告知については、施設でも絵本を使って聞いていたようですし、私達夫婦もYくんに聞かれたら何でも話そうと考えていました。Yくんは私と夫の子どもではないことは最初から知っていたので、Yくんがお家にやって来て私達がどんな気持ちだったか、今まで寂しくなかったか聞いてきました。そして何度か私のお腹から生まれたかった、と言ってくれたこともありました。私もYくんを産めなかったけれど、私達の元に来る為に、生まれてきてくれたと思っています。だから、いつも「Yくんはパパとママにとって、とても大事なんだよ」と言っています。

Yくんが家に来てから、思い出も沢山出来ました。春にはお弁当を持って花見に出掛け、誕生日を祝って、夏には2年続けて和歌山に海水浴に行きました。秋にはハロウィン、紅葉狩り、クリスマスは一緒にツリーを飾り、初めての冬は雪の中USJに行きました。お正月にはお互いの実家に帰り親戚への顔合わせもしました。初めは固まっていたYくんでしたが、2年目にもなると輪の中心にいました。以前とは違ってずいぶん明るくなったと皆驚いていました。

初めてのヒーローショーはウルトラマンでした。Yくんは周りのノリに付いて行けず、ずっと黙ったままでしたが、それからはウルトラマンが大好きになりました。今では仮面ライダーはもちろん、親の影響で昔のヒーローやアニメにも詳しくなりました。

Yくんは年少の年は、まだ迎えて1年目だったので親子の絆を深める為に幼稚園には入れずに、私と一緒に過ごすことにしました。

そして今年の春から年中さんです。それまでの1年ちょっとでお兄さんになったのか、通園バスでも最初から泣かずに元気に通っています。幼稚園でたくさんお友達ができて、本当に毎日が楽しそうです。

先日、幼稚園で運動会があり、夏休み明けから毎日頑張っていた練習の成果を、私達に見せてくれました。私達も他の若い親たちに混じって頑張りました。こういう楽しい経験が出来たのも、Yくんが私達の元に来てくれたからです。

たまに聞き分けが無くて、腹の立つこともあり、私がトイレに逃げ込んだこともあります。また、叱り付けて泣かせてしまったことも何度もあります。でもその後必ず、なぜ叱ったのか、どこがイヤだったのか説明するとちゃんと理解してくれます。その後はいつも“仲良しのギュウ”をして仲直りすることがお約束になっています。私自身、Yくんを抱きしめることで、落ち着きを取り戻すことが出来ました。

里親になる前は、子どもを育てるのは大変なことだと、周りの人から言われましたが、自分の子として育てるのだから当然のことだと思っています。

でも、それ以上に子ども目線の発見や、今まで気付かなかった親の気持ちを気付かせてくれて、Y君を迎えて本当に良かったと思っています。

現在は特別養子縁組も成立し、晴れてYくんは私達の長男になりました。

この先もいろんな事があるかもしれませんが、ありのままのYくんを受け止めて行きたいと思います。

最後に我が家に迎えるまでYくんをお世話してくださった乳児院の先生方、児童養護施設の先生方、そして、Yくんを迎えてからはいろいろ支えてくださった子ども相談所の方々、里親支援機関リーフの方々本当にありがとうございました。

そして、Yくん、生まれてきてくれて、本当にありがとう。

 dit10-02

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